武藤彩未の覚悟


最初に「武藤彩未」という人の名前を確認したのは、たしかさくら学院2012年度の卒業式にて、会場内で配布された真っ白なカードに「武藤彩未 2013.4.29」と、そして公式サイトのURLだけが印刷された、それも普通の印刷ではなくて、加熱された型押し箇所が半透明化される独特のエンボス感が施された、一目見て「ああ、これはカネかかっとるな」と思わせる意匠のティーザーカードで、なんだかよく分からないけど受け取った人たちが皆一様に「彩未ちゃん!彩未ちゃんが!」とロビーのそこかしこで興奮していたのを覚えている。


私はといえば、その時はまだ「あー可憐の人かな…?」程度の認識しかない状態で、そもそもさくら学院のライブ自体が、その2012年度の卒業式が初めてだったので、彼女の帰還がどれ程待望されていたのか、そういった事への周りの人たちとの温度差みたいなのはあったように思う。ただ、満を持してというか、何か大きな期待を抱かせるプロジェクトが始まるんだろうな、というのはそのたった一枚のティーザーカードの作りこみ具合からも、十分伺わせるものはあった。


そもそもここを更新するのが3年ぶりくらいだったりするので、しかもその間さくら学院の事などについては一度も書いたことがないし、いずれなんか書こうかなーとか思ってた矢先のことで、なのでなにが何やらな感じもしますが、ちょっと色々あったのでサクッと勢いのみで更新してみます。


さて、武藤彩未のライブが初めて開催されたのは、2013年7月20日 Shibuya O-EAST武藤彩未 LIVE DNA1980」であった。その頃には既にさくら学院についてのある程度の事は認識しつつあり、彼女がどういうポジションでさくら学院として活動し、そして彼女こそが歌手として帰還するのが待ち望まれている、というのはなんとなく理解出来るまでにはいた。


果たしてそのステージで魅せた内容は、およそ考えの及ばない、今でこそ「80年代」というキーワードが彼女を語る上で、とても密接なものとして存在しているというのは理解出来るのだが、アミューズという会社は武藤彩未を通じて「アイドルという形の再興と更新」を、社を挙げて定義付けし直そうとしている、なんだかよく分からないけど、とてつもなく大きな力とお金をもってして、およそ凡人には理解されにくいことを、いや、彼女になら託すことが出来るのかもしれない…そう思ってこんな実験じみたことを真顔でやろうとしているのでは…。つまり、ただの80年代カバープロジェクトではなくて、タイトルに「DNA1980」とあるように、武藤彩未を生まれながらにしてのアイドルである、と見立てたアミューズは、彼女を通じて80年代に培われてきた現場のノウハウをそのまま注ぎこみ、現代でも通用するプロダクトを作っていくのだとする、決して懐古趣味ではないアイドル像を一から育てていくのだと、そういう宣誓のようなライブに興奮したのを覚えている。


それ以降のことについては、ツイッターポッドキャストなどで都度喋ったりしてきたので、とりあえず諸々すっ飛ばして先日の活動休止宣言について。


ソロアイドル武藤彩未として活動してから、まだ2年半ほど。その間にも色々と楽曲の数も増え、そしてサウンド自体も変容してきており、中心であった80年代ポップスから現代的とも言えるEDMサウンド、そして果てはストレートなロックサウンドにまで及び、当初打ち出されていた「DNA1980」の意匠から随分かけ離れたことにまで取り組むようになっていた。


こういったことに対しての賛否は私の観測範囲内においても散見され、それは少なからず運営や彼女自身にも届いていたのだとも思う。私自身戸惑いが無かったわけではないが、時間を経るにつれ、なるほどこういう変容そのものが、彼女自身の今現在の、その移ろいゆく興味の変遷を、我々はリアルタイムに体感出来ているのだと。若い頃は色々なモノに接触すると、その時々において興味や関心も目まぐるしく変わるわけで、そういった「体験」が彼女の表現方法や活動スタイルにおいてもストレートに反映され、80年代歌謡が胎教だったとまで言っていた彼女が、バンドサウンドの気持ち良さを知るにまで至る、即ちその移ろいを生々しく追えている、見させて頂いているのだという気持ち、尊さ。なのであります。


さておき。そういった彼女自身の意向というのが、わりと強く反映されているんだろうなというのは、当初披露された「彩りの夏」がライブ毎にアレンジされ、そしてアルバム「永遠と瞬間」が出来るに至るまでの過程を見ていて思った。


武藤彩未は、そのプロジェクトはいつからブレていたのか、いやブレてなどいないのか、それは「今のところ」まだよく分からない、結果などまだ出ていないのではないか、と思う。デビュー当初から本間昭光を筆頭に今剛や松原秀樹といった名うてのミュージシャンを揃え、O-EASTのような大きめの箱ではDEVICEGIRLSなどのVJもあり、ステージにも凝った仕掛けやライティング演出が用意され、如何に武藤彩未という人の存在がアミューズという手厚い庇護のもと大切にされてきたのか。そしてそれはついに、渋谷公会堂にまで辿り着く。そういった運営との蜜月を見てきた2年半でもあった。そんな彼女が「私は小さい頃からこの世界にいて、正直、そのままの流れでここまで来た感じがあります」と述懐するのである。

私は小さい頃からこの世界にいて、
正直、そのままの流れでここまで来た感じがあります。
もちろん自分なりに一生懸命頑張ってきましたが、
自分自身がこれからどうありたいかという事と
しっかり向き合わずに来てしまいました。

いつも応援してくださっている皆さんへ / 武藤彩未 Official Site

ここに書かれている報告は、ここに至るまでの心境が嘘偽りのない言葉で述べられている、つまり芸能という世界に身を置いた彼女が辿り着いた一つの答えであり、そしてこのプロジェクトが何か結果を残せたのだとしたら、もしかするとそれはこの報告なのかも知れない。しかしである。それは、走りながらではダメなのか、歩みを止めなければ「心を育てる時間」は持てないのか。時間は有限である。あえて「リスタート」することの難儀さは、アミューズとて分かってはいるはずで、しかしそれでも彼女自身が相当食い下がったのだろうなと推察出来るこの文面に、なんとも武藤彩未らしいなとも思う。それがよく表されているのが最後の一文だろう。

そして、私には夢を叶えてほしい仲間たちがいます。
私と同じ壁にぶつかった子がいたら、
胸を張って大丈夫だよって言ってあげられるように、
私もしっかり自分自身と向き合っていきたいと思います。

いつも応援してくださっている皆さんへ / 武藤彩未 Official Site

本来ならば葛藤を抱きながら現状と向き合い、時には「ぶつかった壁」と折り合いをつけながら泥臭く続けていくのが、ショウビズにおける作法なのかもしれない。でも彼女は、壁にぶつかった事を包み隠さず「壁にぶつかった」と正直に言った。それは取りも直さず彼女が「さくら学院 初代生徒会長・武藤彩未」だからであり、夢を叶えてほしい仲間のことまでをも考えた末の身を挺した、先輩として身を持って「壁の乗り越え方」を見せてやろうとする、彼女の覚悟がそう宣誓させたのであると思う。


思えば彼女は「覚悟」という言葉をこれまでも色々なインタビューで発していた。これだけお膳立てをされるプロジェクトだ。そりゃ覚悟がいるのも当然だと思うし並々ならぬ思いで捉えていたに違いない。武藤さんの言う「覚悟」は、CDの売上枚数や武道館公演といった(当然それらも大事ではあるが)そういう短期的な目標設定を前にしたものではなくて、武藤彩未が求められる、武藤彩未だからこそ歌える価値や意味を、アミューズと共に描いていける「覚悟」であって欲しいなと、そう思うのです。

たくさんの「待ってる!」ありがとうございます😭ただただ精一杯やるの次元を超えて、ここからはそれに、自分の強い意志も兼ね備えてやっていきたいんです。いろんな音楽に触れ合って学びたい。次戻ってくるときは、アイドルではなく、アーティストとして勝負できる武藤彩未でありたいです!!

武藤彩未 @_mutoayami_ 11:23 PM - 16 Dec 2015

彼女は分かっていて、あえてこのような「アーティストとして」という書き方をしている。これについて、アイドル/アーティストというような定義論争や、はたまたこのツイートをもってアイドルとしての白旗宣言と穿つのは野暮ってものだろう。武藤彩未はいつも「私はアイドルです」と答えてきた人だ。そんな彼女が「アーティストとして」と表明してみせたのは、先の報告にもあるように、彼女なりに退路を断つという覚悟の表れとして、このように宣言してみせたのだと思う。


OWARI WA HAJIMARI
そうであって欲しいなと、願うばかりです。