武藤彩未の場所


かくて武藤彩未というソロアイドルは、幕を下ろしたのである。


などと、その最後となるライブを観てもなお、気持ちの整理や納得が出来るはずもなく、去来するのは「なぜ、これほどまでのパフォーマンスが出来る彼女が、活動を休止せねばならないのか」というどうにもならない想いと、アンコールでのサプライズとしてサイリウム配布を計画し、大団円な演出で幕引きを図るプロジェクトスタッフへの疑念が募るばかりであった。


2014年6月、かつて「A.Y.M. ROCKS」と銘打たれた、その名の通りロックなサウンドでパフォーマンスをするというワンマンライブが開催された。武藤彩未のそれまでのステージングというのは、舞台装置や照明、映像演出。それにMIKIKO先生により考案された振り付けを取り入れ披露するという、それぞれのスタッフが総出でキッチリ作りこみ、楽曲から導かれる世界観を武藤彩未を通じて構築していく、そんなパフォーマンスが観られるライブであった。それに対し「A.Y.M. ROCKS」というのは、武藤彩未がバンドメンバーの一員として、バンドのボーカリストとしてステージに存在し、時には彼女自身がその激しいバンドサウンドに身を任せながら、そして観客の声援やテンションに呼応する形で熱を帯びるライブハウスの空気に酔いしれ、彼女が考えるロックサウンドのダイナミズムを彼女なりに体感・表現するというのが「A.Y.M. ROCKS」の趣旨であったのだと思う。


さくら学院というアイドルグループの一員としてパフォーマンスしてきた経験と、ロックバンドのボーカリストとしてステージに立つのとでは、何からなにまでその全てが違うだろうし、彼女自身にとって大いに刺激のあるものであったのは間違いない。おびただしいほどの汗をかきながら、時に歌詞を飛ばしながらもラフに熱唱する彼女を見て、これも良い経験、良い寄り道をしている最中に立ち会っているのだと、思ったり納得させたりしたものだった。


そう、あの「A.Y.M. ROCKS」で見せたものは、ロックとはなんぞや?というものを、80年代歌謡曲が原体験としてある彼女が、彼女なりに思い描いたロックなるパフォーマンスを表現するという、修練の場として機能したプログラムだったのだ。


そこでの彼女は、それぞれの楽曲にしっかりと決められた振り付けを、それまでのキャリアで培ってきたような忠実に演じることを必ずしも是とはせず、バンドサウンドの音圧と観客の熱気が生み出すグルーヴを全身で浴びながら、その気持ち良さをストレートに全身で表現することを優先させた、ロックバンドとしてバンドメンバー達と対等に存在するボーカリスト武藤彩未がいたのである。


さて、先日の赤坂BLITZにおける、所謂ラストライブとなるX'mas Special LIVE「A.Y.M.X.」である。その日のステージは、かつての「A.Y.M. ROCKS」や渋谷公会堂での構成と共通する、バンド形式でのライブであった。しかし、同じ形式ながらもそこで見せた武藤彩未のパフォーマンスは、ロックバンドの一員として存在するのではなく、またバンドサウンドに身を委ねるようなラフな歌唱スタイルでもない、ステージの中央に堂々たる風格で佇み、指先にまで神経を集中させたキレのある淀みのない振り付けを纏いながら楽曲それぞれの世界観を演じ、静謐に歌い上げることへ注力した武藤彩未がそこにいた。


ライブ終盤に、前列付近にいた観客から「ロックアーティストになるのか」というちょっとした、しかし直球な質問が彼女に投げかけられた。彼女はその問い掛けに、ロックというアプローチは手段のひとつであり、それが目的ではないという趣旨の返答をした。つまり「A.Y.M. ROCKS」というのは、表現方法を磨く上でのひとつの経験であり、X'mas Special LIVE「A.Y.M.X.」で見せた彼女のパフォーマンスこそが、件の「ロックアーティストになるのか」という疑問に対する彼女からの回答であり、そしてソロとして活動してきたこれまでの研鑽が集約されたライブであったのだ。


この2年半という短い間に、まさしくTRAVELING ALONEとしか言い様のないその道のりは、時として周囲から迷走しているように見えたところも多分にあったとは思う。様々なサウンドにアプローチし、様々なアウトプットを試みながら、そして自身がこれまでの集大成にしたいとまで語った赤坂BLITZでのステージは、必ずしも武藤彩未そのものが、例えばロックなら「ロックを表現」する為のパフォーマンスにとらわれなくてもよいのだと、それがEDMサウンドだろうがロックバンドのサウンドだろうが、ソロシンガーとして楽曲と向き合い演じ切る、そこに「歌手になりたい」とあらためて語った、武藤彩未が現時点で到達したステージでの表現方法が示されていた。だからこそ、ここでの休止宣言は残念でならない。


あらためてこの休止宣言とはなんだったのか。誰が突きつけたのか、なぜこの方法しかなかったのか、もちろん知る由もない。

恵まれた環境に甘えていたのかもしれません。
だから、自分の気持ちを確信に変えるためにも、
ここから心を育てる時間を作ろうと思います。
当たり前にあると思っていた環境から離れて、いろんな世界を見てみたいです。

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彼女は折りに触れ「勝負師の娘」であると、父が元騎手であることになぞらえ自身をそう評することがある。最初のアルバムである「DNA1980」のレコーディングに臨む際も、頑張りますではなく「私は負けません」と言い放ったのである。この彼女のパーソナリティを伺い知ることが出来るエピソードから、今回の休止宣言の持つ意味というのをあらためて考えると、意図的に彼女自身がこのプロジェクトを停止させたかった側面もあるのではないか、などと思ったりもするのだ。


1900円という破格値で渋谷公会堂のワンマンライブをやってのけたアミューズである。このままでは20歳での武道館ライブというストーリー作りも様々な手段を講じて、力技でやってやれないことはないだろう。しかし彼女自身、現在自分がシーンでどのような立ち位置にいるのか、冷静に見つめているだろうし、不相応であるというのは重々承知のことと思う。だからこそ、このまま不本意な形での「武道館ライブ」を敢行させられるより、初めからやり直すという勝負師としての強気な賭けに出たのではないか。


なあんて。そんな好意的かつ馬鹿げた解釈を妄想してしまうくらいには、この休止の意味が見えてこないのである。アルバムが売れません。ライブの集客も良くないです。なので契約終了します。だとするならば、このプロジェクトの矜持とは何だったのか、と思うわけです。


まだ2年半なのか、もう2年半なのか、結果を求められる期間としては様々に捉えられる長さではありましょうが、これ以上は運営への悪口を書き連ねるしかなくなるので最後に一言。


武藤彩未は、なにも悪く無いです。
ラストライブを観て、彼女が輝ける場所・表現は必ずあると思いました。

武藤彩未の覚悟


最初に「武藤彩未」という人の名前を確認したのは、たしかさくら学院2012年度の卒業式にて、会場内で配布された真っ白なカードに「武藤彩未 2013.4.29」と、そして公式サイトのURLだけが印刷された、それも普通の印刷ではなくて、加熱された型押し箇所が半透明化される独特のエンボス感が施された、一目見て「ああ、これはカネかかっとるな」と思わせる意匠のティーザーカードで、なんだかよく分からないけど受け取った人たちが皆一様に「彩未ちゃん!彩未ちゃんが!」とロビーのそこかしこで興奮していたのを覚えている。


私はといえば、その時はまだ「あー可憐の人かな…?」程度の認識しかない状態で、そもそもさくら学院のライブ自体が、その2012年度の卒業式が初めてだったので、彼女の帰還がどれ程待望されていたのか、そういった事への周りの人たちとの温度差みたいなのはあったように思う。ただ、満を持してというか、何か大きな期待を抱かせるプロジェクトが始まるんだろうな、というのはそのたった一枚のティーザーカードの作りこみ具合からも、十分伺わせるものはあった。


そもそもここを更新するのが3年ぶりくらいだったりするので、しかもその間さくら学院の事などについては一度も書いたことがないし、いずれなんか書こうかなーとか思ってた矢先のことで、なのでなにが何やらな感じもしますが、ちょっと色々あったのでサクッと勢いのみで更新してみます。


さて、武藤彩未のライブが初めて開催されたのは、2013年7月20日 Shibuya O-EAST武藤彩未 LIVE DNA1980」であった。その頃には既にさくら学院についてのある程度の事は認識しつつあり、彼女がどういうポジションでさくら学院として活動し、そして彼女こそが歌手として帰還するのが待ち望まれている、というのはなんとなく理解出来るまでにはいた。


果たしてそのステージで魅せた内容は、およそ考えの及ばない、今でこそ「80年代」というキーワードが彼女を語る上で、とても密接なものとして存在しているというのは理解出来るのだが、アミューズという会社は武藤彩未を通じて「アイドルという形の再興と更新」を、社を挙げて定義付けし直そうとしている、なんだかよく分からないけど、とてつもなく大きな力とお金をもってして、およそ凡人には理解されにくいことを、いや、彼女になら託すことが出来るのかもしれない…そう思ってこんな実験じみたことを真顔でやろうとしているのでは…。つまり、ただの80年代カバープロジェクトではなくて、タイトルに「DNA1980」とあるように、武藤彩未を生まれながらにしてのアイドルである、と見立てたアミューズは、彼女を通じて80年代に培われてきた現場のノウハウをそのまま注ぎこみ、現代でも通用するプロダクトを作っていくのだとする、決して懐古趣味ではないアイドル像を一から育てていくのだと、そういう宣誓のようなライブに興奮したのを覚えている。


それ以降のことについては、ツイッターポッドキャストなどで都度喋ったりしてきたので、とりあえず諸々すっ飛ばして先日の活動休止宣言について。


ソロアイドル武藤彩未として活動してから、まだ2年半ほど。その間にも色々と楽曲の数も増え、そしてサウンド自体も変容してきており、中心であった80年代ポップスから現代的とも言えるEDMサウンド、そして果てはストレートなロックサウンドにまで及び、当初打ち出されていた「DNA1980」の意匠から随分かけ離れたことにまで取り組むようになっていた。


こういったことに対しての賛否は私の観測範囲内においても散見され、それは少なからず運営や彼女自身にも届いていたのだとも思う。私自身戸惑いが無かったわけではないが、時間を経るにつれ、なるほどこういう変容そのものが、彼女自身の今現在の、その移ろいゆく興味の変遷を、我々はリアルタイムに体感出来ているのだと。若い頃は色々なモノに接触すると、その時々において興味や関心も目まぐるしく変わるわけで、そういった「体験」が彼女の表現方法や活動スタイルにおいてもストレートに反映され、80年代歌謡が胎教だったとまで言っていた彼女が、バンドサウンドの気持ち良さを知るにまで至る、即ちその移ろいを生々しく追えている、見させて頂いているのだという気持ち、尊さ。なのであります。


さておき。そういった彼女自身の意向というのが、わりと強く反映されているんだろうなというのは、当初披露された「彩りの夏」がライブ毎にアレンジされ、そしてアルバム「永遠と瞬間」が出来るに至るまでの過程を見ていて思った。


武藤彩未は、そのプロジェクトはいつからブレていたのか、いやブレてなどいないのか、それは「今のところ」まだよく分からない、結果などまだ出ていないのではないか、と思う。デビュー当初から本間昭光を筆頭に今剛や松原秀樹といった名うてのミュージシャンを揃え、O-EASTのような大きめの箱ではDEVICEGIRLSなどのVJもあり、ステージにも凝った仕掛けやライティング演出が用意され、如何に武藤彩未という人の存在がアミューズという手厚い庇護のもと大切にされてきたのか。そしてそれはついに、渋谷公会堂にまで辿り着く。そういった運営との蜜月を見てきた2年半でもあった。そんな彼女が「私は小さい頃からこの世界にいて、正直、そのままの流れでここまで来た感じがあります」と述懐するのである。

私は小さい頃からこの世界にいて、
正直、そのままの流れでここまで来た感じがあります。
もちろん自分なりに一生懸命頑張ってきましたが、
自分自身がこれからどうありたいかという事と
しっかり向き合わずに来てしまいました。

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ここに書かれている報告は、ここに至るまでの心境が嘘偽りのない言葉で述べられている、つまり芸能という世界に身を置いた彼女が辿り着いた一つの答えであり、そしてこのプロジェクトが何か結果を残せたのだとしたら、もしかするとそれはこの報告なのかも知れない。しかしである。それは、走りながらではダメなのか、歩みを止めなければ「心を育てる時間」は持てないのか。時間は有限である。あえて「リスタート」することの難儀さは、アミューズとて分かってはいるはずで、しかしそれでも彼女自身が相当食い下がったのだろうなと推察出来るこの文面に、なんとも武藤彩未らしいなとも思う。それがよく表されているのが最後の一文だろう。

そして、私には夢を叶えてほしい仲間たちがいます。
私と同じ壁にぶつかった子がいたら、
胸を張って大丈夫だよって言ってあげられるように、
私もしっかり自分自身と向き合っていきたいと思います。

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本来ならば葛藤を抱きながら現状と向き合い、時には「ぶつかった壁」と折り合いをつけながら泥臭く続けていくのが、ショウビズにおける作法なのかもしれない。でも彼女は、壁にぶつかった事を包み隠さず「壁にぶつかった」と正直に言った。それは取りも直さず彼女が「さくら学院 初代生徒会長・武藤彩未」だからであり、夢を叶えてほしい仲間のことまでをも考えた末の身を挺した、先輩として身を持って「壁の乗り越え方」を見せてやろうとする、彼女の覚悟がそう宣誓させたのであると思う。


思えば彼女は「覚悟」という言葉をこれまでも色々なインタビューで発していた。これだけお膳立てをされるプロジェクトだ。そりゃ覚悟がいるのも当然だと思うし並々ならぬ思いで捉えていたに違いない。武藤さんの言う「覚悟」は、CDの売上枚数や武道館公演といった(当然それらも大事ではあるが)そういう短期的な目標設定を前にしたものではなくて、武藤彩未が求められる、武藤彩未だからこそ歌える価値や意味を、アミューズと共に描いていける「覚悟」であって欲しいなと、そう思うのです。

たくさんの「待ってる!」ありがとうございます😭ただただ精一杯やるの次元を超えて、ここからはそれに、自分の強い意志も兼ね備えてやっていきたいんです。いろんな音楽に触れ合って学びたい。次戻ってくるときは、アイドルではなく、アーティストとして勝負できる武藤彩未でありたいです!!

武藤彩未 @_mutoayami_ 11:23 PM - 16 Dec 2015

彼女は分かっていて、あえてこのような「アーティストとして」という書き方をしている。これについて、アイドル/アーティストというような定義論争や、はたまたこのツイートをもってアイドルとしての白旗宣言と穿つのは野暮ってものだろう。武藤彩未はいつも「私はアイドルです」と答えてきた人だ。そんな彼女が「アーティストとして」と表明してみせたのは、先の報告にもあるように、彼女なりに退路を断つという覚悟の表れとして、このように宣言してみせたのだと思う。


OWARI WA HAJIMARI
そうであって欲しいなと、願うばかりです。

「なにも無いことを確認する為」だけ、の旅だった


北海道・美瑛には観光スポットとして様々な樹木が点在していて、赴くまま適当に切り取ってもそれなりな絵になってしまう風景だらけなのだが、やはり彼の地でひっそり観光ルートから外れ佇むここの木の存在感だけは相変わらず圧倒的であり、狭い丘陵を抜けて視界が開けたところに飛び込んで来るあの一帯の景色は、他の風景では味わえない一線を画した空間が存在しているなあと、6年ぶりに訪れてみて改めて実感した。そういうことでM.ZUIKO DIGITAL ED 12mm F2.0をなんとなく購入してしまい、そのまま気持ちが北海道に向かったのでぶらり美瑛の旅です。







どこを見渡してもXPの壁紙だらけみたいな感じなのよなー。



四季彩の丘。結構咲いてるっぽいけどよく見ると枯れまくりだった。夏に来なきゃダメなんだそうだ。あと土産物屋さんでずっとミニマルテクノがかかってたのが気になりました。







ケンとメリーの木



セブンスターの木



マイルドセブンの丘







クリスマスツリーの木



そしていわゆる「僕の手紙」である。数年前にもう既にやぐら等は撤去されている事は知っていたが、いま現在どのような状態になっているのかをこの目で確かめるべく、美瑛から石狩・無煙浜へと向かったわけである。想像してた通りの殺風景な海岸でいろいろ沁みた。



おそらくやぐらの一部と思われる残骸が一本残っていた。




本当に殺風景な場所ではあるが、静寂が支配するこの海岸でぼんやり二階堂のCMのような散策気分を味わうのも中々よいものなので、訪れる価値はあるかと思う。ただ本当になにも無いので過度な期待はしないようくれぐれも。どうしても行ってみたいという奇特な人はこちらのブログで無煙浜までの道中があるので参考までに。ということで、2012年10月現在の「僕の手紙」はこのような状態でありました。




以上、ぶらり広角の旅でした。
 

ZONE「7年振りツアー」に見るこれまでとこれから


2012年の今、かつてZONEだった人たちがZONEとして改めて活動を再開させている状況を見守るにあたり、結局のところ7年前のあの解散というのは、一体何だったんでしょうねっていう話になってしまうのだけど、あれはメンバーの1人が辞めますということから、じゃあ新メンバーを投入することでZONEを継続しましょう、といった結論には至らずそれならもういっそのこと、というような経緯で瓦解したような終わり方になってしまった。と、このように認識しているのだけど、翻ってじゃあ今のZONEはどうなってんの?っていうと、これがたったの2人なわけですよ。2人で動かしてるんですよ。あの7年前に出した結論では、3人という形でのZONEを否定していたのに、今ではそこからさらに減って2人しかいないのにZONEの看板を掲げてやれているんですよね。


もちろん当時の彼女たちにとっては3人でZONEを継続することが困難であり、それならいっそ終わらせてみるというのが最善の解答だったのだろうけど、先月「2012年 ZONE 7年振りツアー『2人になりましたけど…NANIKA?』」の全公演を観てきて思ったのは、ZONEとして成立する上で必要な構成要素って人数的な部分はあまり大きな問題ではなく、至極単純な話ですが、ZONEとしてどうしても歌いたいのだという、強い執念とメッセージを持つメンバーだけが、この先もその看板を背負ってやっていける資格が与えられるのだなと、そんなような事を彼女たち2人のライヴを観ながらぼんやり考えていました。『2人になりましたけど…NANIKA?』ってこの露悪的に開き直ったツアータイトル、ふざけているようだけれどこれ以上ない強気な宣言は実に頼もしくもある。


去年の8月に半ば電撃的かつ無理やり歌詞になぞらえた形での再結成劇は、それ自体がプロジェクト的な意味合いを帯びた事務所イベントとしての色合いが強く、だから彼女たちもかつてZONEだった事を踏まえた再結成ライヴとして求められるパフォーマンスをしっかりこなしつつも、それと並行して3人それぞれがZONEとは異なる、今やりたい・やっていきたい音楽を各ソロコーナーを設けてアピールすることに注力していたりと、当初あの時点では新生ZONEとして「再始動」させるという事は念頭に無かったんじゃないかなと思う。わざわざ同窓会と銘打っていたわけですし。


「震災復興支援」を契機にした期間限定の再結成だったけれど、今年以降もZONEとして活動していく「再始動」という展開になった今、彼女たちが2人でどのようにZONEを更新していきたいのか、そのあたりはまだ今回のツアーからは楽曲的な面も含め、新生ZONEとしての展望具合っていうのはちょっとまだ未知数な感じを受けた。ZONEのバリューを生かした出来る事・やるべき事っていうのは明確にあり、そこを踏まえた上で「震災復興支援」に繋がる活動として振る舞える事をやっていきたい、というそもそもの再結成の核となる部分は見えるんだけど、新生ZONEとして継続するにあたってこの先、新たにZONEとしてやりたいサウンドっていうのが2人の中で定まっているのかどうかっていうのが分からないところなんだよね。

MIYU:ただ、さっきも言いましたけど、やっぱりZONEらしさは大事にしていきたいです。その上で、型にとらわれず色々なZONEを見せていきたい。

−−そのZONEらしさって、自分たちでは何だと思います?

MIYUMAIKO:そこなんですよぉ〜!!!!!!!!!

−−(笑)

MIYU:今回のシングルを作ったときも、みんなで「ZONEらしいね」って話をしていたんですけど、その“ZONEらしさ”が何なのか難しくて…。議題にもなったよね。

−−個人的には“純粋さ”かなぁって思うんですけど…。

MIYUMAIKO:え〜!!! そうなんだぁ!!

MIYU:でも、そういうのがあるのかもしれないよ。自分たちには分からないところで、皆さんが感じている“ZONE”があるのかも。

−−では、新生ZONEとしてどうなっていきたいですか?

MIYU:うーん………でも、昔から「こうなりたいです!!」っていう部分はあまり無かったよね? ZONEって最初は楽器を持ちながら踊っていたので、目指すところが無かった。自分たちで探していくしかなかったんですよね。

ZONE 『treasure of the heart 〜キミとボクの奇跡〜』インタビュー:hotexpress

彼女たちはホントにいい人たちなんで、おそらくこれからも「ZONEらしさ」という呪縛に抗いながらも素直に応えようとしてくれるんだとは思うんですが、その得体の知れない「ZONEらしさ」だけをモチベーションに新生ZONEとしてどこまで展開可能なのか、というかこれってオレ含めこれからのZONEに何を期待したいのかっていうのも問われているのだとも思う。


しかしながら今回のツアー内容はファンが求める、または世間一般が抱くZONEのイメージに応えた素直なセットリストでありアレンジでもあったので、いわゆる再結成なツアーとしては全く申し分のないすごく律儀な内容であったなあというのが、全公演を振り返ってみての雑感です。

  • 2012年 ZONE 7年振りツアー「2人になりましたけど…NANIKA?」
  • ツアーメンバー
    • MIYU(Vo,G)
    • MAIKO(Vo,B)
    • 小暮隼斗(G)
    • 大山賢司(Dr)
    • 鶴田海生(Key)


■証

今回のツアーにおけるセットリストとして、1曲目に相応しい曲って何なのか。色々考えてみたが意外にすんなりと答えが出ない。昨年の再結成ライヴでは1日目にデビュー曲、2日目では代表曲を持ってくるという分かりやすいアプローチだったが、一応今回は新生ZONEとしてのツアーであるので同じような展開は無いだろうと。じゃあなんだろうなと考えていたところに証のイントロ。なるほどのっけから拳突き上げてテンション高めで開始出来る曲となるとこれが相応しいか。もちろん私はといえば微動だにすることなく、ツアー初日の札幌では、上手から登場したMAIKOさんのシースルーなスカートに穏やかではいられませんで、あまり集中して聴けていなかった気がします。あと中盤で「だれのため」と口パクする箇所がありますけど、あれ最近ではすっかりやってくれないのが不満ですね。

夢ノカケラ…

この曲はシングルバージョンとアルバムバージョンがあって、歌い出しサビから始まるのが前者で、前奏が用意されているのが後者。ライヴではアルバムバージョンで歌われる事が多いか。シングルバージョンではなくキラキラしたパッドで奏でられるイントロから、アコースティックギターでザクザク歌い始めるアルバムバージョンの方が好きなので有難い。


ZONEのライヴでは散々歌われてきた曲のひとつだが、今回の2人体制になったことでパート割りに変動があったのはもちろん、ハモった時の声色のコントラストにもずいぶん変化が見られて面白かった。それが顕著に表れていたのが、この曲の中盤ラストにある「ボクが両手でそっとカケラを拾い上げて もう一度信じると」の箇所。MIYUを支えるようにハモるMAIKOの声が力強くてとても逞しく、いつの間にこんな頼り甲斐のある歌声に仕上げていたのかと、MAIKOには色々認識を改めさせられた今回のライヴにおけるハイライトのひとつだった。なるほど「2人になりましたけど…NANIKA?」というハッタリは伊達じゃなかった。

一雫

先ほどの曲とは逆にMAIKOがメインボーカルを務めるこの曲は、柔らかい印象で歌われていた昔と比べてMAIKOの声色も変わっていたので、力強くしっかりと歌われる「一雫」というのはなかなか新鮮であった。MAIKOはZONE解散後、MARIAというバンドを結成してメインボーカルを担当していたのだが、そのバンドではZONE時代とは違う声の出し方で歌おうとするなど、バンドの顔として新たなカラーを打ち出そうと最後まで模索していた印象が強い。


オレのMARIAに対する印象というのは、ひとことで言うならボーカル不在のバンドだった。MAIKOの声に問題があったわけではないのだが、バンドが指向する音と彼女の声がちぐはぐでメインボーカルとしてカラーを打ち立てるには食い合せが悪く、実に不幸なことになっているなと思っていた。彼女の声は楽曲によってより映える場合と埋没してしまう場合がハッキリしており、MARIAの頃のようながむしゃらに歌い上げるのではなく、この「一雫」のようなバラード寄りのサウンドで力強く落ち着いた歌い方のほうが、より声色の存在感が増す傾向にあると思う。

■僕の手紙

これも「夢ノカケラ…」と同じような感想になるのだけど、2人の掛け合い・ハモり方がうまくハマっているというか、結果的にデュオという形態になってしまったけれど、2人で歌われることでよりサウンドとしての響き方が力強いものになり、説得力も増幅されていてとりあえず安心した。楽曲の構成上、2人以上でないと成立しにくいのがZONEナンバーの特徴だと思うのだが、しかし2人という最小構成のバンド体制では今まで以上に誤魔化しが効きにくい、大変面倒くさい仕事に手を出しちゃったんだなあ、などと思いながら聴いていました。まあこの危惧が後に現実のものとなってしまうんですけども。

■For Tomorrow

かつてはTAKAYOがメインボーカルを務め、その後TOMOKAが引き継ぐ形で歌われてきた曲。今回は2人でパートを分担する形で歌っていた。この曲はどちらかと言うと高らかに歌い上げるより、少しドスの利いた声で前任者たちが歌っていたせいか、MAIKOの歌い方がMARIA時代を彷彿とさせる声の出し方でちょっと懐かしく思えたりした。ついこの間までやってたバンドなのにZONEよりも懐かしく思えてしまう感覚。あーそうかオレはZONEをリアルタイムに知らないから、ZONEに対して懐かしいという感覚を抱くことはありえないのだな。


■さらりーまん

このナンバーも前任者と引き継いだ人が「For Tomorrow」同様の形態。町田イズム全開な世界観の歌詞でどちらかと言うと苦手な部類の曲なのだが、MIYUに「君たちは いつでも さらりーまん」となにかグサリと突き付けられるのは嫌いじゃないです。

■ユメノカナタ

「さらりーまん」からなだれ込む形で披露されたのが、新生ZONEとしてリリースされたシングルのカップリング曲。シングルという形で新曲がリリースされたのは7年振り。ツアー前にリリースされてはいたが、まずはライヴで聴いてみたいと思っていたのでどういった曲なのか全く耳にせずツアー初日まで楽しみに取っておいた。そしてMIYUが「皆さんの声が必要です!」と煽り、曲名を叫んだ直後に流れてきたシンセのイントロを聴いた瞬間、思わずわらってしまった。ズルい。これはズルいと。「H・A・N・A・B・I 〜君がいた夏〜」で奏でられる印象的なギターのメロディをそのまま持ってきたような、それでいて「H・A・N・A・B・I 〜君がいた夏〜」の疾走感も併せ持ったナンバーになっていて、この作編曲っぷりは間違いなくha-j氏の仕事だなと聴きながら確信した。


彼は去年の再結成時にリリースされたトリビュートアルバム内に収録された新曲「約束 〜August, 10years later〜」も手掛けており、その時の手法と構成が酷似していたので、これはZONEファンの琴線に触れるであろう要素を詰め込むとこうなる的な、かつて自身がアレンジしてきた曲を解体してみせた彼なりのサービスと配慮が伺える曲となっていた。それにしても思い切り二番煎じだし去年と似たアプローチだし、もうこういう配慮された曲しかないのかよおい、などと言いたくなるも抗うことが出来ず素直に反応してしまう己の不甲斐なさに、皆さんも同様に悔しい思いをされたのではないでしょうか。改めてお察しします。

太陽のKiss(Acoustic arr.) 〜 アルバム(Acoustic arr.)

MCを挟んだ後、スペシャルゲストとしてZONEをデビュー頃から編曲等でサウンドプロデュースしてこられたOcean Bornこと鶴田海生がキーボードとしてゲスト参加。2012年3月3日札幌グランドホテルのバーで、全編アコースティックアレンジで演奏したカクテルショーという形式のディナーライヴを今回のツアーでもやってみたいとのことで、アコースティックギターカホン・キーボードをバックに「H・A・N・A・B・I 〜君がいた夏〜 Ocean Version」や「prayer」などを思い起こさせるアレンジかつ意外な選曲で披露した。赤レンガ倉庫のモーション・ブルー・ヨコハマで開催されたファンクラブイベントでも同形態のコンセプトで演奏していたようなので、おそらく新生ZONEの今後を見据えた新たな活動形態を模索してるのかもしれない。2人で出来る最適なパフォーマンスとしてこういうアコースティックライヴが無理なく可能なのかどうか、今回のこの演奏を聴く限りにおいては不安要素は見られなかった。

■mind 〜 BeaM 〜 新・僕はマグマ (medley)

ここでいったん全員がはけてインターバルを挟み、暗転中の舞台に突如流れてきた「mind」のイントロに、これは全く想定していなかったので驚くと共に、最もテンションが上がってしまった瞬間だった。しかもグッズであるハッピに衣装チェンジしてのダンスパフォーマンス。2012年においてまさかこの曲をこのパフォーマンスで見られるなんて霹靂すぎて、まるで「ぞーんぽた〜じゅ」で披露されたライヴを目の前でスタジオ観覧している錯覚に襲われてこの瞬間はホントに現実感無かった。


https://youtu.be/cf6HEFH-rHk

ただ聴いていくにつれ曲のラスト近くにある「TAKAYO! MAIKO! MIYU! MIZUHO! ZONE!!」とシャウトされるあの箇所が一体どうなるのか、おそらくあの場にいた全員が固唾を飲んで見守っていたはずだが、なんてことはないあっさりとカットされた編集で次の「BeaM」へ…。なるほどメドレー形式だからそういう編集なのねと心を鎮めました。このメドレーではダンスを披露しながら歌っていたのだが、MAIKOのダンスには定評がある事も改めて確認することが出来た。カチッとした振り付けが用意されていた演目ではなかったのだが、腕の角度・上体の所作・指先まで神経が集中していることが分かるキレのある動きが健在で感心してしまった。「BeaM」では観客に向けて指差しする箇所があるのだが、仙台ではわりと近い席で見ていたこともあり、MAIKOから思わぬ指差しレスを頂いてしまったことで今まで味わったことのない何かが貫かれてしまい、レスを求める心理の一端をのぞき込んだ気がした。これを契機に一体どうあるべきなのか、今後の自分の課題とします。

■H・A・N・A・B・I 〜君がいた夏

「H・A・N・A・B・I 〜君がいた夏〜」で幕が開いたライヴ後半戦、ここから「glory colors 〜風のトビラ〜」まで続く4曲は、彼女たちのバンドスタイルとしての側面を窺い知る上で最も適した楽曲であり、ZONEのライヴでは欠かすことが出来ない、ライヴバンドとしての魅力が存分に発揮されるナンバーでもある。まず「H・A・N・A・B・I 〜君がいた夏〜」という曲は、ZONEの楽曲の中でも一際ベースがよく動く躍動感にあふれた曲で、当然ライヴではベーシスト・MAIKOへ視線が集中してしまう。忙しく動く左手と、その間もずっとニコニコと心の底から楽しくて仕方がないといった様子で演奏しているMAIKOの笑顔を交互に見ることが、この曲におけるMAIKOのパフォーマンスを堪能する正しい鑑賞スタイルであり、最も見るべきポイントなのである。そしてZONEとは、彼女たちとは一体何であるかの問いに対する答えもここに示されている。


バンドであるのか、アイドルであるのか、突き付けられる彼女たちは「そのどちらでもあり、どちらでもない」という意味を込めて「バンドル」というニュートラルな在り方を創造し、何であるのかという問い自体が意味を成さないものとして予めこちら側に提示してくれているのだ。だったらもう、受け入れる為のカテゴライズなんてする必要は無い。目の前で楽しそうに楽器と戯れて笑顔を振りまく彼女たちに、何であるかを突き付けたってしょうがない。彼女たちのその笑顔やプレイに呼応する形で去来する、どうしようもない幸福なひとときを素直に享受すればいいのだ。楽しみたいように楽しむこと、それが「バンドル」であるはずだ。


■true blue

なぜこんなに書きまくっているのか。自分でも分けがわからない。さて「true blue」である。とにかくもうそろそろ前奏での英詞部分を歌ってくれることを期待しているのだが、一向に実現されないまま我々は心の中で''What is the reason of my birth reason of my life question of man. What he is What he wants''と繰り返すばかり。暗唱するにそれ程難しい文章ではないはずなのだが。そして鉄腕アトムの主題歌として相応しく考えられた重要なモノローグとして、主題歌たる所以が記されている部分だと思うのだが。なるほどだからこそアニメの主題歌としての色を抑える為に、この部分を削除しているのかもしれない。などとつまらない事を詮索してしまうので何故このパートを歌ってくれないのか説明はやく。

笑顔日和

ここにきてTOMOKAが不在であるという事実にようやく気が付いてしまった。まだZONEが本格復帰を宣言する前に、POWER OF ART PROJECTやイベントなどで3人が揃った際にはよく歌われていた一曲なので、余計にTOMOKAの不在を実感させられる。そしてオレがZONEを認識するキッカケとなった曲でもあるので想いは複雑である。2005年にリリースされたZONEとしての実質ラストシングルであるこの曲は、かつてない程に前向きでアグレッシブに奏でられるサウンドに、今後のバンドとしてのZONEの在り方を示唆する上でターニングポイントと位置づけられる、TOMOKA加入後のZONEとしてもようやく新たなカラーを期待させるような気配と指針がこの曲には内包されていた、というように認識している。これはバンドルがバンドとしてようやくステップアップした、という意味で重要なのではなく、もともと武器であったバンドとしての一面を、より戦えるものとして仕上げてきたという意味で期待があったのだ。


メインボーカルを追いかけるように掛け合うコーラスワークも美しく、今作で初めて作詞を手掛けたというMIYUによる歌詞も、例えば中盤にある「なぜか赤信号は いつもより長くて」を受ける形で「足踏みして 青に変わる その瞬間を心の中で 数えてる」と丁寧に拾い受ける描き方は、作詞初挑戦にしては中々のもので作詞の面でも期待させるものがあった。それぞれの「個」が芽生えるなか、あのまま止まること無く「2005年以降のZONE」というものがあったとすれば…。たられば程詮ない話はない。

■glory colors 〜風のトビラ〜

ライヴレポのつもりだったのが完全に脱線している気がする。この曲に関してはやはり大阪公演での出来事が印象深い。今まで順調に歌ってきたMIYUが、突如として声を詰まらせ思うように歌えないアクシデントに見舞われてしまった。札幌・仙台・東京、そしてツアー4日目にあたる大阪公演でついに体調を崩してしまったようだ。オレは再結成以前のZONEのライヴを見たことがないので、MIYUにかつてこういうトラブルがあったのかは知らないけれど、思うように声をコントロール出来なくなった事に対し、悔しさと苛立ちで苦悶するMIYUの表情というのをかつて一度も見たことがないので、今この場に居合わせてしまっている事の気まずさと同時に、完璧に見えるMIYUでもこういう事があるのかというレアな場面を目撃している状況への興奮とで、以降この日はラストまで落ち着くことは出来なかった。


しかし対照的にこの日のMAIKOは絶好調で、ボロボロになってしまったMIYUをサポートするべくいつもより一層声も大きくなり、MIYUが歌いきれない部分をなんとかカバーしようと存在感をアピールしていた。そして少しでもMIYUが回復するようMCをひとりで多めに喋ることで時間を稼ぐなど、さり気なくサポートする様が健気かつあまりに良い光景すぎて浄化されてしまった。考えてみればツアーに関しては確かにMIYUは7年振りだが、MAIKOはMARIA時代に何度かツアーを経験しているので、実質7年振りで本当に久々であるMIYUの方が体力・精神面からも負担が大きかったのかもしれない。ふとMAIKOもMARIA結成後の1stツアーで声を潰してしまいボロボロだったのを思い出したりした。


secret base 〜君がくれたもの〜

ライヴにおけるこの曲に関する事で言いたいことはひとつだけ。アウトロ部分をフェードアウトで終わるのは本当に、本当にやめて欲しい。収まりが悪すぎてとにかく気持ち悪いのだ。せっかくバンドでライヴをやっているのだから、今後はフェードアウトで終わるシングルバージョンではなく、ひと通り歌い終わった後にアウトロとして延々繰り広げられるあのインスト、あの2分以上にも及ぶメロトロンの洪水とギターサウンドの絡みが堪能出来る、1stアルバム「Z」に収録されているあのアルバムバージョンを是非ライヴで再現してもらいたいのだ。今の彼女たちなら問題なくやりきれるはず。あの2分のインスト箇所にこそこの曲の、アルバム「Z」の音世界が凝縮されているのだから。とにかくもうフェードアウトで終わられる事ほど締まらないものはない。マイケル・フォーチュナティのライヴじゃないんだから。

■一緒にいたかった

この曲について自分の中ではあまり大きく占めるものはなく、ああもうそろそろライヴも終わる頃だなあ、というくらいの印象でしかないナンバーだったのだが、今回5公演を全て観てきた今、あらためて反芻してみると、心のベストテン第1位はこんな曲だったような気がしている。ツアーが終わってからの脳内再生率が異常。「大事なものは何ですか」「幸せなこと何ですか」と問われるたび、暗澹たる気持ちになるんだけどこれ。

■約束 〜August, 10years later〜

考えてみれば去年に再結成を果たした事にも驚いたし、しかもそれを3人でやる事になったのはもっと驚きだったし、そして新曲まで携えてくるっていうのも考えられなかったし、何よりまだ去年の再結成から1年も経っていないのに、もう既にメンバーが1人いなくなっているという事態は、これはもう完全に想定外であった。10年後の8月に戻ってくるのは3人なんだけど、11年後には2人になってるんですよって話信じます?


2人も今回のツアーのMCで「去年は泣いたり、笑ったり、泣いたり、笑ったりと激動の1年だった(笑)」と語っていたが、確かにドラマチックすぎる1年ではあったと思う。しかしながら振り返ってみると、ZONEは常に激動であったようにも思う。主に人事面においては。MAIKOに至ってはこの間、ZONEだけでなくMARIAまで失っているわけだから常に激動に晒されていたと言っても過言ではないだろう。それだけ色々踏まえてきた人生のせいか、もはや2人とも達観した様子で振り返ることが出来ていたし、だからこその今回のツアータイトルなのだろう。そして最悪な事態として、この先さらにどちらかが欠けてしまうような事があったとしても、冒頭でも書いたが、どちらかが1人になっても無茶を承知でZONEの看板を背負って応えようとするのではないか。3人でリリースしたばかりのこの曲を、1年経たずパート割りを変えて歌っている2人を見ていると、頼もしく思うと同時に彼女たちにとってZONEとは「業」であるな、と思いながら聴いていました。南無。

■treasure of the heart 〜キミとボクの奇跡〜

しかしZONEの曲名ってサブタイトル的に「〜」で括られたのが多い。さてこの曲は、再結成後のZONEとしては「約束 〜August, 10years later〜」に続く新曲であり、シングルとしては7年振りにリリースされたタイトルでもある。この「キミ」「ボク」という人称表記はあからさまに町田的であり、これこそがZONEらしさを構成する世界なのだと感じ入るファンも多いのではないかと思う。そういう意味ではZONEファンが思い描く世界観に、彼女たち2人もZONEとして忠実に寄り添う形で応えた曲になっている。サウンドも「secret base 〜君がくれたもの〜」が好きだという向きにアピールされており馴染みやすい。このあたりをサービスだと取るか保守的であると考えるか、よくある話になるわけで、特に再結成等が待望されていた人たちに向けられる、期待に応えるとは何ぞや?という最適解を得る難しさがつきまとう。


去年夏に発表された「約束 〜August, 10years later〜」というのは、ある種のノベルティソングだと思っていて、それは今までリリースしてきたタイトルから曲名を拝借して作詞するといった遊びのある曲で、これは「再結成」や「10年後の8月」といった言わばキーワードとしての物語が前提となって初めて成立するようなケースの曲だと思うので、だからこの曲をして今後のZONEの方向性が云々とか集大成的にどうこうといった話からは無関係でいられる記念盤的楽曲であったのだと思う。当時は再結成は一時的なものであり、活動継続はまだアナウンスされていなかったわけだし。そして活動継続に意欲を見せたいま、このシングルは今後のZONEをあらためて示唆するものになるのか期待が寄せられるわけで、極めて重要な「7年振り」になるのだと思う。今のところはこの曲ってどう?って聞かれるといや嫌いではないし、じゃあ好きなの?ってなると、いやまあ諸手を上げて好きだっていう程では…という難しいところです。いつだって難しいんですよZONEは。難しいのです。

Arigato

ZONEっていつもファン・スタッフ含め周りに感謝の意を述べているよね。それはもうクドいまでに。常に頭を下げている印象がある。Perfumeに匹敵するほど繰り返し「ありがとうございます」と御辞儀するも、それが定型的なものとして嫌味な印象が無いのは素敵な事だと思います。

■Once Again (Zepp DiverCityのみ)

ダブルアンコールって本当に意味が分からない。何なのダブルって。アンコールとはもはやセットリストに予め組み込まれる程に形骸化している昨今、ダブルアンコールこそが真のアンコールだということなのだろうか。分けがわからない。いったい何が真実なのか。誰を信じていけば良いのか。オトナって汚い。だけれど「Once Again」に罪はない。ダブルアンコールありがとうございました。



全公演を見て回るという事自体が初めてで、さすがに何度も観ていくと途中で飽きてくるかも知れないという懸念はあったが、初日から最終日までついて回る事へのモチベーションは下がることなく、札幌ではZONEや観客共に探り探りで緊張している空気があったり、東京のZepp DiverCityでは大舞台でも臆せず乗りきれていたし、観客との距離が一番近くMCでのリラックスしたやり取りが出来た仙台も楽しかったし、MIYUの調子が急変した大阪も、その後の名古屋で観客がMIYUの分まで熱唱するという場面も含め、やはりツアーを回らなければ体感出来ない時間軸というものがあるのだなと、そういう当たり前な事を実感出来たのは良かった。テンプレのようなMC内容も回を重ねるごとに洗練されていくのも面白かった。


ただ、今後継続するにあたってひとつ期待したいのは、今まで何年も「再結成して欲しいアーティスト」にランクインされる程に待望されていたけれど、そういうくすぶっていた待望論にまずは「ピリオド」を打つことを期待したいかなと思う。本来なら去年の再結成イベントが「ZONEを終わらせる儀式」としてはとても最適だったはずなのだけど。新生を標榜するのであれば一度区切っておくというのは重要で、ファンやZONE本人たち含めいつまでも亡霊に囚われているのは健全ではないということだ。自戒を込めて。

世界一どうでもいい楽屋ニュース


今年のネタ提供者は微妙に地味揃いだったので、例年以上にどうでもいい具合のニュースになっていたのが良かった。しかし一年って早いですね。

ネタ提供者 楽屋ニュース
ぢゃいこ 中田はじめさんが出番前に舞台袖をウロウロしているので、理由を聞いたら「眠くなるから」だった。
宮川たま子 宮川大助師匠が畑にイノシシの罠をしかけた。次の日、自分が引っかかってアワアワ叫んでいた。
宮川たま子 この間、散歩している前田五郎師匠を自転車でひきかけました。
ジャンクション
下林
ティーアップ長谷川さんはファッションには敏感なのに、最近テレビを見て「これがほしのあきか…」と呟いていた。
ヤマカ ちゃらんぽらんの冨好さんが出番前に財布をあずける時、中身の金額を何度も声出し確認してからスタッフに預けていました。
岡田直子 38歳で芸歴5年のYさんは昔ワルかったのに 未だにカシスオレンジしか飲めない。しかも一杯でベロベロ。
岡田直子 電話しながら「ケータイがない」、メガネをかけてるのに「メガネがない」という先輩がいる。
五十嵐サキ 井上竜夫さんが舞台袖で「ワシもうあかん、下半身があかん、SEXできへん」とつぶやいていました。
フロントライン
古島
西川のりお師匠が営業先のチキンカレーを食べる仕事で、初対面の女性料理人に「俺が鶏肉あかんの知ってるやろ!」と怒鳴り散らしていました。
ブーメラン学園
ザッキー
SF革命杉村は串カツ屋に女の子と2人で行き、二度漬け禁止のタレに二度漬けしすぎてフラれました。
ジェリービーンズ・
コレクション
いじま
アクアジェラート810(やと)は外見も中身も一切良いところはないが、免許だけはゴールドだ。
ジェリービーンズ・
コレクション
あきはる
アクアジェラート810(やと)は小学校以来、歯をみがいていない。
今別府直之 打ち上げの時、いきなりカルピスを頼んで怒られた。そういう席ではビールを頼むという常識を知った。
今別府直之 僕の服は母が買ってくれることが当たり前となっている。
ハム 諸見里 へびいちご高橋さんが「今から昔知り合った女をたくさん呼んだる」と言ったが、ほとんどメアドを変えられていて誰も来なかった。たぶん全部作り話だった。
ランス39号 オーバイトーリ森田は集合時間に毎回30分は遅刻してくる。さらに「弁当食べていいですか?」と来る。なんじゃーい!

楽屋ニュースにおけるアクアジェラート810の推されっぷりと去年に引き続き、冨好さんの小ささが浮き彫りに。

METAMORPHOSE@自転車の国へ行ってきた


これはヘタするとネズミの国の人たちを刺激することになるのでは…?といきなりハラハラさせられるアグレッシブなオブジェに出迎えられつつ、METAMORPHOSEへ初めて行ってきましたよ。


http://www.metamo.info/
メタモは毎年なんとなく気になりつつ、でもなんとなくスルーしてしまうという感じが続いていて、そんで今年はメタモの翌週に10周年なWIREもあったりするもんだから、さてこれどっちに行こうかなとか悩みつつ、あとメタモと同じ日に大阪で「仁丹玉造百年感謝祭」というキダ御大と杉原輝雄のトークショーが見られる絶対外せなさげなイベントもあったり、でもまあ毎年スルーするのもなんなので今年はメタモに行きたいかもー的なことをTwitterでぼんやりつぶやいたらなんかメタモのチケットがウチに手配されるという事態があって、なるほどこれが「はらへった」でググるとピザが届く的なアレなのかーという奇跡体験をさせてくれたのでTwitterはスゴいと思った。というかorcinusさん本当にありがとうございます!別に売り切れてたわけじゃなかったのに…!


修善寺駅に18:00過ぎ頃到着。田舎の単線に普段とは異なる客層がわらわらと座席を占拠するので地元民が困惑顔。駅を出たら早速雨がぱらついてきたのでコンビニで合羽を購入。予報では一晩中雨になりそうな感じだったけど、当日は殆ど霧雨&濃霧なくらいで思ってたほど酷いことにならず助かった。むしろ肌つやが良くなったりして無駄に潤った。合羽も別にいらなかったかも。


ステージは3つ用意されているんですが、どれもたどり着くには起伏の激しい坂道を歩かなきゃいけないので、フラッとなんか適当に見に行ってこようっていう気が全く起こらない。ので、ほぼメインっぽい↑のソーラーステージに居座る感じに。それにしても懐中電灯は必須だと痛感した。夜中に山道を歩いてて何度もこけそうになって人のテント壊しそうになった。つーかオールナイトイベントにテントを持ち込む意味があんま分からんのだけども。翌朝までしかやってないのにさ。


オープニングのクラムボンから見たかったが会場に着いたらちょうど終わってた。なのでトニーアレンから見ることに。

TONY ALLEN

関係ないけど少し前にリリースした「LAGOS SHAKE:A TONY ALLEN CHOP UP」という「LAGOS NO SHAKING」からの収録曲を中心に、Carl CraigやらMoritz Von Oswaldといったメンツが参加したリミックスアルバムがあって、それぞれテクノやミニマルダブ系のアプローチを試みながらも、要であるファンク/アフロビート感を損なうことなく各リミキサー陣の手法と原曲が相性良く纏まった楽曲が揃っている、アルバムとしての完成度が高い一枚があるんだけど、まあこれは非常に良いので聴いてもらうとして、ライヴは底抜けに明るくユルユルな(しかしキメる時はキメる)ファンキーないわゆるおっちゃんのリズム満載で面白かった。実際のライヴではヘンにフュージョンっぽくなったりするんじゃないか?とかチラッと思ったりもしたが、そんな感じにもって行くこともなく、うねりあるサウンドをオーディエンスと上手く共有出来てた楽しめるライヴになってたと思う。アンコールで引っ張り出されてたしねー。

The Album Leaf

最前でがっつくつもりは無かったんだけど、なんとなく前の方が空いてたので座ってセッティングを待つ感じに。若干の肌寒さと霧雨が舞う中で聴くアルバムリーフのライヴは、それだけで出来すぎたシチュエーションだなと思った。天候の勝利。つーかこれは最前で見るよりも、遠くから寝っ転がって眺めてる方が良かったんじゃないかとちょっと後悔。上手い具合に贅沢な空間が出来上がってたなー。そういや彼らのライヴを見るのはこれが初めてだったのだけど、もっと神経質で繊細な音を出すのかと思いきや、意外に骨太なサウンドでビートも上モノも厚く貧弱な感じがしなくて、良い意味で裏切られた。まあでもこのバンド、あんま歌いらないと思うんだよねえ。どうすか。



ルナーステージへの道中にヤマハのブースがあり、TENORI-ONが数台展示してあったので初めて触ってきた。レクチャー受けながら操作してたらつい没頭してしまい、MATTHEW DEARを見逃してしまった。



触って初めて気付いたんだけど、TENORI-ONって液晶のタッチパネルじゃなくて実際にエアキャップみたいなLEDボタンが16×16個配列されてんのな。全然知らなかったわ。しかしランダムに触ってるだけでもとりあえず楽しいという感覚は味わえるので、飛び道具的な使い方はもちろんだけど、いざ「演奏」となると相当ノウハウを熟知してないと本番で使うにはツラそうだなあとは思った。レイヤー構成を把握するだけでも一苦労。でも自在に操れるようになるとむちゃくちゃ楽しいことになるのは間違いない。

BOOM BOOM SATELLITES

24:00近くなったのでorcinusさんとお互いURのTシャツというアレな感じで入場口付近で集合し、なんか適当にドリンクでも買って来ますわーつって買いに行くも、軒並みどの屋台も長蛇の列を作っていて、結果的にアップル紅茶買うのに30分近く並ばされるという事態になってしまい、気が付いたらライヴ終わってた。今年のメタモは予想以上に入場者数が多かったのか、イマイチさばききれてない感じで大変そうだったな。とりあえず遠くの方で並びながら、あーリッジレーサー!知ってる!とか反応するくらいでした。まあでもライヴはカッコいいよブンブン。なんか色々言われたりするけど。

MANUEL GOTTSCHING & ASHRA

セオ・パリッシュと時間帯がもろかぶりでそっちも見に行きたかったが、まあゲッチング先生のライヴは外せないしってことでこっちに。2年前は一人でラップトップに向かいながらエレキでひとり「E2-E4」だったらしいが、今回はアシュラとしてバンド編成での来日だった。なんの曲をやったのかハッキリ覚えてないけど「Correlations」辺りからも演ってたような気はする。さてバンドでのライヴは97年に日本でもやっていたけど今回はその時とはまた違った感じで、なんつうか今風に言うところの「バキバキ」でした。あのMANUEL GOTTSCHINGが「バキバキ」サウンドですよ?もっとまったりした風なライヴかと思いきや。


MANUEL GOTTSCHING & ASHRA@METAMORPHOSE 08
http://jp.youtube.com/watch?v=7qKJdLmbHoM

いやまあ、その攻めてる感じは非常に好感持てたんだけど、ラップトップからのシーケンスがめちゃんこつまんないオーソドックスな音色で、しかもチャンとドラムがいるのに、そのドラムとの差異がハッキリしないビートが常に出しゃばっていて、なんかもったいない感じがした構成だった。もっとクラウトロック的アプローチな人力感のあるドラムでやった方が、というかそういうのが見たかった気がしたなー。ギターはまさしくMANUEL GOTTSCHINGなディレイ/リバーブ全開な幽玄サウンドで、まあしかし比較的オーソドックスなシーケンス故、よりギターが際立っていたような側面もあって、細かいことは気にしない大御所の余裕みたいなパフォーマンスにも受け取れて、これはこれで良かったのかもだな。どっちだよ。

GALAXY 2 GALAXY

気付けばもう明け方近くでGALAXY 2 GALAXYっていうこの時点でほとんどプラネットステージとか行ってなくて、オレなにしにメタモ来たんだろう…と思わないこともなかったけれど、ホントにもうツラくて…坂道が…。伊豆くんだりまで来て早朝登山とかそんな趣味ないですし…。テンション的にはとりあえずゴロンと横になってまったりしたかったのでやっぱテントだよなーと思いました。


Jupiter Jazz
http://jp.youtube.com/watch?v=A9dlUz6PuKg


JaguarStrings of Life
http://jp.youtube.com/watch?v=d2BKLmpt-io


HI-TECH JAZZ
http://jp.youtube.com/watch?v=XX__cvUHdYE

Jupiter Jazz はなんか変わったメロディを乗っけたアレンジしてますな。こういうのは「デリケートなURファン」な人たち的にはどうだったんでしょうか。まあでも3年前の来日時に比べてよりラテン系お祭りジャズみたいな様相になってきた感じがするなー。とにかくサックスがもう目立ちすぎだ(;´Д`)藤原大輔が3年前に演った HI-TECH JAZZ は間奏時も比較的おとなしめにアピールしてる感じだったが、今回は至る所で隙あらば吹きまくってたなー。まあ盛り上がって良かったけどね。途中 Strings of Life を挟み込んだり Jaguar や HI-TECH JAZZ といった辺りはもはや伝統芸能的ですらありますけど、しかし惜しみなく求められるモノを披露してこそがフェスの醍醐味だとも思うので、全くもって最高なステージだったと思うわけです。だって辺りが白じんでくる明け方にナマの HI-TECH JAZZ を聴ける機会ってまずないですし。関係ないけどCornelius Harris(ET-KINGでいう総合司会)がハンチング帽かぶってるせいか、ずっと矢野兵藤兵動大樹に見えて仕方なかった。おしゃべり大好き。


そんでまあなんとなく見るもん見たし的な感じで燃え尽きたんで、スタンド席に戻ってボーッと高みから COBBLESTONE JAZZ をぼんやりと眺めつつみたいなテンションに。つーかスタンド席の階段で毎秒いろんな人がしりもちついて転んでるのが目に入ってきて心臓に悪かった(;´Д`)あれは雨に濡れて滑りやすくなってる以前に階段の構造自体が悪いような気がするな。


それにしても女子率が高いイベントだなと思った。半分以上は女子参加だったんじゃねえの?これレゲエイベントじゃねえよ?ってくらい多かった。そんなに女性にウケの良いシーンなんすかね。知らなんだけど。


とりあえずほとんど動けてないっつうか一箇所に留まりすぎたので、来年行くならもっと積極的に移動せないかんなと思った。


伊豆名物が伊勢エビって意味分かんないよね。












おつかれさまでした!

ランタイム楽曲大賞

http://d.hatena.ne.jp/runtimenews/20080731/p2
メジャー以降のZONEの音源を入れると極端な感じになるのであえて外して選考するとこんな感じかなあ。

1位:高谷栞 / PURE MIND PURE LIFE
2位:西村朝香 / hunch
3位:MIYU / confidentially
4位:西村朝香 / marble
5位:龍川瞳 / look

選んどいてアレだがこの時期の町田楽曲って音色のセンスからなにからホント荒削りな曲ばかりだよなあ。メロディの譜割りというか歌詞の乗せ方がTK以上に強引すぎる。町田待望論みたいなのって根強くあるけど、ぶっちゃけアレンジャーでかなり救われてきた人だと思うんだよねえ。