「ライヴ」について色々考えた

今回のライヴにちょっと違和感を覚えた人の共通な意見としては「演奏してねーじゃん!」「てめーちゃんとピアノ弾けよ!」「CDをまんま流すなよ!」といった感じの感想が結構あって。ま、実際そんなようなライヴだったんですけども!まあ一応10年ぶりの「バンド編成」でのライヴってふれこみだったから、どうしても久々に「演奏」部分に比重を置いた身体性の高いパフォーマンス(教授好きなら、例えばメディアバーンの頃のようなライヴ?)をつい期待してしまうのは無理もないところなのかもなんだけど。でもフェネスが参加!って時点でバンド然としたライヴは期待出来ないなあ、ってのはあったけどなー(;´Д`)


今回のライヴが「CHASM」リリースから1年半も経ってしまった事について坂本曰く、もともと「CHASM」はライヴでの再現性を考えて作られたアルバムではなかった。んで、もし演るとしてもCDの内容を再現するだけのパフォーマンスに時間と労力を費やしたくはなかった、らしい。そこで行き着いたのが、じゃあCDそのまんま流せば良いんじゃね?的な逆転の発想へ。その辺の手法はSKETCH SHOWとのライヴでインスパイアされたらしく、えーとパンフから具体的に引用すると、

CDと同じことをステージ上で再現するということに、頭が縛られていたみたいで。ロックにしろフォークにしろ、CDと同じことをライヴでやってますよね。CDと同じことは、ハードディスクから音が出るから、もう勝手にやらせておいて、その上に即興的な、その時出している音を重ねていっちゃったんですよ。

ロックもジャンルは違ってもライヴではCDと同じことをやってますよね。普通はCDをゼロにするために、ひとつのトラックをカラオケ状態、つまりマイナスしていくんです。例えば、ギターを生で弾くなら、ギターは入れないでおく。でも(SKETCH SHOWでのライブは)CDの上に勝手なこと、好きなことを、個々が足しちゃってるわけ。これはコロンブスの卵で面白いんですよね。

それで、CDとそっくり同じ事をやるために、時間と労力を費やす必要がなかったんだと気が付いた。それならただCDをかければよかったんだって。ライヴは、ライヴでできること、一回性、即興性をやればいいんだと。

だから、音源をうっすらバックで流しつつ演ったのは手抜きではなく、よりライヴ性を高める為の手法である!という事らしいんだけど、んーまーその辺はいまひとつ伝わりにくそうだなあと思った(;´Д`)個人的には、これはステージ上でリアルタイムにリミックスをしているライヴなんかな?と思って楽しむことは出来たんだけど、「おい!ピアノが目の前にあんのに、なに戦メリのサビんとこを弾かんと音源流してボサーッとしてんだよっハゲ!バカ!エコ!ゾウ!地雷!空!」って言う意見も分からないではない。あとこれは、坂本をプレイヤーとして見てるかどうかってのも関係してくるんだろうな。オレはあんまプレイヤーとして坂本の曲を聴いてこなかったんで、別段ライヴでは是が非でも演奏するべき!っていうのは無くって。だからおもしろアレンジが聴けりゃそれで良いや、くらいにしかライヴ(特に坂本の)を見ていない。まあ今回そのアレンジ具合が面白かったのかどうかってのは、また別の話になりますがー。